明治時代・前田光世の渡伯
明治時代、柔道を普及させる為にアメリカに派遣された柔道家たちがいました。 その中に当時26歳だった「前田光世」がいました。
彼は柔道使節の一員として渡米しましたが、以後イギリス、スペイン、メキシコなど、世界各地を異種格闘技戦をこなしながら渡り歩きます。
前田の試合スタイルは、クリンチで相手に組み付いてマットに倒し、関節技や絞め技で決着させる、というものだったようです。
体格に勝る外国人を相手に勇敢に戦いぬく前田の活躍で、海外に入植してた日本人移民たちはとても勇気付けられたそうです。
そんな前田光世は生涯最後の地にブラジルを選び、アマゾン開拓の仕事を手がけるようになります。
1913年、前田は住んでいたベレンの有力者、ガスタオン・グレイシーと出会います。
ガスタオンは前田にやんちゃな息子たちを柔道で鍛えてくれるように頼みます。
こうして前田はガスタオンの息子、カーロスに柔道を教えたのでした。
エリオ・グレイシー
ガスタオン・グレイシーの末息子でカーロスの弟、エリオ・グレイシーは体格に恵まれず、運動の苦手な少年でした。 柔術とは最も縁が薄そうなエリオでしたが兄が柔術を教えるのをいつも見ていたそうです。
ある日、兄の不在にエリオがレッスンを担当したところ、大変好評だったそうです。
エリオは身体の弱い自分にも柔術が使えるように、工夫を重ねて改良していたのでした。
(この頃、柔道と柔術との区別は曖昧だったそうです。ブラジルでは「柔術」として広まったという説があります。)
グレイシー柔術がブラジルの格闘技界に受け入れられる為には、バーリトゥード(総合格闘技のような形式のブラジルの競技)において勝利する必要がありました。
エリオ・グレイシーはバーリトゥードに挑戦し、見事にブラジリアン柔術の優位性を示すことに成功したのでした。
ブラジリアン柔術と柔道の違い
このように、成立の過程で「柔道から生まれた」と言えるブラジリアン柔術ですが、実際に体験してみるとまるで違うスポーツであることに気付くでしょう。
それはルールの違いです。ありとあらゆるスポーツはルールによって性格付けられます。
一般に柔道は規制が厳しく、柔術は緩やかであると言えるでしょう。
例えば中断(ブレイク・待て)の規定、寝技の規定、ポイントの評価規定、試合決着の条件などを挙げることが出来ます。
柔道は投げ技の技術に評価の重点が置かれ、その評価は審判に委ねられますが、ブラジリアン柔術の場合、寝技において奪ったポジションによって評価され、絞め技や関節技で「降参」させることに重点を置きます。
上のように書くとブラジリアン柔術は大変ハードなスポーツであるような印象を受ける方もおられるかも知れませんが、実際には逆であるように思います。
非常に合理的、かつ洗練されたブラジリアン柔術の技術を学ぶことで、柔道経験者が驚くほどラクに寝技の技術が展開出来る様になることでしょう。
この点からも、ブラジリアン柔術は頭を非常に使う、知的な大人の格闘技、と言えるかも知れません。
実際に、それまで柔道やレスリング等、何の格闘技経験も無かった方が三十歳を過ぎてから柔術を初め、楽しみながら強くなっていく例を何件も見ること出来ました。
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